大いなる存在
まず、「神」という存在、その言葉についてですが、これは世界中でキリスト教、イスラム教、仏教、から始まって数百、数千とある宗教家や、スピリチュアルなリーダー達が独自の定義をして教えを広めております。しかしながら、よくよく考えてみると、「神」を正確にすべて知り尽くした人はいないでしょうし、過去の歴史をみても各宗教、宗派が「私の神が正しい」といった第度で、極端な場合には戦争をしてきています。一般の人々は、無意識的に「神など存在するわけはない」と考えている、または信じていることも事実です。ここでは、正確ではないけれど、既に、ある程度「神」のような目に見えない存在を理解している人を対象に話を進めます。
エックハルトや少数ですがその他のスピリチュアルリーダー達は、「大いなる存在」と読んでいます。ただ、この「大いなる存在」という表現も「神」と等しく、その本当の姿を表現しきっているわけではありません。この目に見えない大いなる存在は、言葉で表現できるものではありません。しかし、これが「人間の本質」であります。「大いなる存在」は、全ての生命を超越しているだけではなく、あらゆる生命の奥深く、目には見えず、絶対に滅びることのない本質として宿っているものです。
これは、人間の頭「頭脳」で「考えよう」としても出来るものではありません。「思考」では、理解できないもの、というか逆に「思考」を離れて、「思考」が止まった時に直感的に理解するものです。その状態をエックハルトは「今にある」Presenceと表現しています。
思考=自分
普通は、自分とは「自分の思考」の中に存在しています。これが「本当の自分だと」思い込んで一生を終えてしまっています。これはごく当たり前だと理解しています。静かな部屋で、座って目を閉じて、「思考を止める」という実験をしてみるとわかります。大抵は、一分と立たないうちに自分が「何かを考えている」ことに気づきます。おそらくなんどやっても10分「無思考」でいることはできません。この実験を真剣にやってみると、あることに気づきます。自分は思考を止めようと強く意図している、にもかかわらず、一分たりとも思考を止めることはできない事実をよくよく考えると、「この思考って、どこからやってくるのか?」という疑問がでてきます。そして、もう一つは「この考えている人?は誰、何だ?」という疑問です。
2000年前に、釈迦(仏陀)は、このことに気づき、深く突き詰めて本質を理解して、人類救済の教えを説き始めました。その後も、イエスキリストを初め歴史の中では非常に多くの賢者たちが、これに気づきいわゆる「悟り」と呼ばれる状態になって、その内容を他の人達にも分かちあう活動をしてきました。Power of Nowの内容の本質は、このことにあります。ただ、理解することが非常に難しいと言うと御幣があるのですが、インテリの学者肌の方々は「そんなこと直ぐにわかる」ということでしょう。大きなポイントは、これは頭「思考」では理解できないことなのです。このポイントが、理解されない?限り、理屈や理論的理解では、超えられない壁が存在します。
まずは、自分の中から絶え間なく湧き上がってくる「思考」の正体に気付くことから、すべての話は始まります。
人間の苦悩のほとんどは、「思考」からやってきます。このことに少しでも気づくと、生きていくことが非常に楽になり、本当の自由というものを体験し始めるわけです。
思考をコントロールする(脱出する)
まず、第一のステップは、自分の思考の「声」に耳を傾けることです。
坐禅にしても、やってみるとわかりますが、簡単なことではありません。
自分の意図とは関係なく勝手に走り回る思考(Monkey Mind)をどうすればいいのか途方にくれるものです。
しかしながら、悟りへの道は、無限に続くものだと感じてくると少し心にスペースが生まれます。
私も、今の状態から毎日一歩一歩、新しい気づきを得ながら歩んでいきたいと思っています。
五井昌久先生の教え
エックハルト・トールは理論的に宇宙の真理を現代人、特に欧米人にわかりやすく(受け入れやすく)説明している。現代にはエックハルト・トールだけでなく他にも多くの悟りに達した人々が、異なった文化、国、言語で同じ真理を普及しようとしている。
日本では、空海など出現したが、現代では、過去に五井昌久という聖者が出現した。しかし40年前になくなってしまった。戦後まもなくの頃だったので、現代の我々にとって説明の仕方が少し離れてはいるけれど、本質は変わらない。おそらくインターネットの今の時代に生きていれば、エックハルト・トールと同様に世界におおきなインパクトを与えたことであろう。エックハルト・トールと大きく違うのは、五井氏は、日頃から超常的な能力を顕現していたことだろう。ただ、そういった力については教えの中では触れなかった(本質ではないから)。今では、Youtubeで音声の法話がアップされているので、その話を聞くことで教えに触れることができる。